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アーキテクチャ アンド アレコレ
No  452

アトリエの慰労会

幾つもの進行プロジェクトにそれぞれ高い山があり、途中、なかなか打ち上げすら出来ませんでしたが、年末が近づき、ようやくそれぞれの峠を越したので、スタッフを労うべく、慰労会を行いました。

IMG_6188.jpg

僕らは毎年、‟忘れなければならないほど悪い年”にはしないよう努めているので、「忘年会」とは呼びませんが、峠を越した先も注意して進もうと思います。

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No  449

安藤事務所元同僚らと再会

Tornierという、安藤事務所時代の同僚で、現在Snøhetta N.Y.のProject Managerを務める旧友、および奥さんRashmiさんの来日に合わせ、昔の職場仲間(のうち、東京にいるメンバー)が集まりました。

トーニャ来日

厳しい修業時代を潜り抜けた仲間は戦友というか独特の連帯感があり、かつ現在も互いに尊敬できる活躍をしていると、誇らしく思います。
酒は飲めないので、ジンジャーエールでひたすら語り合いました。
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No  430

公共プロポーザル、またも二次で敗退・・

地元区で個人的関りも深い施設も含む児童複合建築の設計だったので、
時間を割いてプロポーザルに参加、計画書を提出し、二次審査にも進みました。
年末年始も準備して臨み、自信に満ちてプレゼンしましたが、またも敗れました。
選定結果の公表2
敗退自体は、組織力や実績量も含めてなので仕方ないかもしれませんが、
同一案件の前回の“策定業務”プロポも、今回の“設計業務”プロポも、
なんと同じ最優秀者、次点者の組み合わせだったことは、やはり疑問です。

「策定業務」には基本設計の募集要項や条件をまとめる業務も含むので、
その受託会社が基本設計のプロポーザルにも参加できるのならば、
・準備できる時間の長さ、・有している情報の多さ、・担当部局との関係の近さ、
等で、他の応募者と大きな条件の開きができ、著しく公平性を欠くからです。
(よって一般的には策定業者は設計プロポに参加出来ません)
当然「策定業務に参加したら設計業務には参加できない」と考え、
事前の策定業務はパスして、本戦(設計プロポ)のみに臨んだのですが。。。

後日、コンペ・プロポに何度も関わった複数の行政関係者や、
審査員を何度もご経験された複数の先生方に話を聞いても、
「そういう真似は、仮に違法でなくとも、しないのが常識」とのことでした。

我々自身も提案内容は反省し、今後もさらに精進をするのは当然として、
発注者・自治体に至近の類似案件で、今すぐ希望したい要点は二つ。
①スケジュール担保のために策定業務と設計業務を一括させたいなら、
 最初からそう明記し、その手続きをとること。
②別々にプロポを開催すべき建前があるなら、最初の要項で
 「策定業務者も設計プロポに参加できる」可能性を明記すること。
…①か②ならば、最初から出すかどうかも含め、参加者も判断できます。

昨今の専門家不足、煩雑な手続きの増加、スケジュールの厳守など、
役所には役所の事情があることを理解しています。
だから外からも助けたい。民間の専門家にも手伝えることがある。

けれど骨を折る僕らにも、納得のいく骨の折り方があります。
そして何より、それを税金で買い取る住民・利用者にとって、
本当にいい公共建築が出来るような仕組みが大事です。
建築は高い買物ですからね。安く線を引ける奴が創るものではない。

こうしたことから、住民に対して最適な成果に達しうる公正な、
かつ行政の負担も増えないような、設計者選定方法については、
幹事を務める建築家協会や建築士会など職能団体から
今後も行政へ働きかけ、協調の進言を続けていきます。

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No  424

建築学科同期と

大学の同期(の一部)と集まりました。

建築学科同期

1学年60人の建築学科で、意匠系志望が1/3くらい。
その20名の中で、独立、大学、会社勤め含め、それぞれが自分の分野で活躍しているだけでなく、自分以外(例えば業界全体とか社会とか)のために頭や足を使ってそれぞれ活動しているところが、我々の共通点だなあ、と改めて誇らしく思いました。
僕も建築家の職能がもっと社会に役立つ仕組みづくりに、もっと頑張らないと。

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No  351

ザハ急逝

エイプリルフールに知ったザハの訃報。未だ信じられず信じたくもないが、
この国の未熟さと業界の一部がかけた心労が全く影響しなかったと言えましょうか?

日本建築家協会もすぐさま哀悼の声明を送りました。

加えて、下記に磯崎新先生の追悼文を引用させて頂きます。
ご冥福をお祈りいたします。

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ザハ・ハディドへ

〈建築〉が暗殺された。
ザハ・ハディドの悲報を聞いて、私は憤っている。
30年昔、世界の建築界に彼女が登場したとき、瀕死状態にある建築を蘇生させる救い主があらわれたように思った。

彼女は建築家にとってはハンディキャップになる2つの宿命―異文化と女性―を背負っていたのに、それを逆に跳躍台として、張力の漲るイメージを創りだした。ドラクロワの描いた3色旗にかわり、〈建築〉の旗をもかかげて先導するミューズのような姿であった。その姿が消えた、とは信じられない。彼女のキャリアは始まったばかりだったではないか。デザインのイメージの創出が天賦の才能であったとするならば、その建築的実現が次の仕事であり、それがいま始まったばかりなのに、不意の中断が訪れた。

彼女の内部にひそむ可能性として体現されていた〈建築〉の姿が消えたのだ。はかり知れない損失である。

そのイメージの片鱗が、あと数年で極東の島国に実現する予定であった。ところがあらたに戦争を準備しているこの国の政府は、ザハ・ハディドのイメージを五輪誘致の切り札に利用しながら、プロジェクトの制御に失敗し、巧妙に操作された世論の排外主義を頼んで廃案にしてしまった。その迷走劇に巻き込まれたザハ本人はプロフェッショナルな建築家として、一貫した姿勢を崩さなかった。だがその心労の程ははかりはかり知れない。

〈建築〉が暗殺されたのだ。
あらためて、私は憤っている。

磯崎 新


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