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アーキテクチャ アンド アレコレ
No  10

続・続・卒業制作

講評会1  講評会2

土曜日、講師を務める大学にて、例の卒業制作講評会を丸1日行ってきました。

上位15人についてそれぞれ学生からの発表+講師達からの講評を繰り返します。
先生方の見方や賛否の立場の違いを自分も含め客観的に聞き比べる興味もあり、
発表者に限らず下級生や我々講師達にとってもお祭りのような楽しさがあります。

もちろん半年間懸命に考えたり作ったり頑張った発表者に対しては、彼らにとって
この講評会がなるべく有益となるよう、最低一言(それが評価か批判かは別として)
彼らが納得したり勇気付けられるコメントを何か発するよう、僕は心がけています。
褒めるのはどこか、つまらないならなぜか、ではどうすれば良くなるか…などです。

今年は卒業設計(個人)賞が決まらず3人に奨励賞が贈られる結果となりました。
ただ、僕の卒業時も母校で一等賞が出ず奨励賞が6作という平たい結果でしたが、
逆にそのせいでその代は選外含め皆が今も自信を持ち続けているように思います。

晩の打上げで学生に、厳しいコメントのフォローとそんな励ましも残してきました。
ソフトドリンクしか飲めない酒の弱さを棚に上げ、よくもそんな偉そうな言葉を…。

ともかく4年の皆さん、本当にお疲れ様!3年の皆さん、来年楽しみにしています!

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No  9

続・卒業制作から

(…続きです)

バブル期の各地建設ラッシュとバブル崩壊の反省の矛先は、「ハコモノ行政」
として真っ先に建築に向けられ、今なお悪役業界扱いが続いています。
(安易な投資計画とその企画者が根本原因なのに。偽装は論外ですが…。)
業界自体の学者や批評家も、建築で街をおこす/人を呼ぶ…ということは無理、
あるいは難しいという見地が主流になりつつあります。

(学生にはいつも言うのですが)用途と場所の組み合わせが悪かったり、規模と
運営の調整が不十分なら当然のことであり、「駄目な建築が必然的に廃れた」
ことが「建築に力が無い」と誤解されているとするなら残念なことですが、
そうした結果我々建築家の活躍の機会が減らされているのは、
考えないで作った建築家達の“身から出たサビ”であることも否めません。
僕らはそうした先輩達のまいた種のハンデを背負ってスタートし、
今後は自分達でイメージを改善していかねばならないのです。

・歴史風土・社会問題に向き合う文系的な教養と、
・構造や光熱環境などを取り扱う理系的解析力、
・造形・配色の良否等を判断する芸術的センス
の全てを総合的に学んでいきつつ、ようやく身につけていく建築家の職能を、
ケンチクオタク的な抽象二次元遊びや、俗っぽいTV向け小知恵の切り売りで、
学生もプロも、自らおとしめている場合じゃありません。
敷居は高くてはいけないが、識見や目標が低いのは、もっといけないのです。

卒業制作は、「どんな建築を建てるか・ビルディングタイプを選ぶか」ではなく、
「建築設計という技術をどう社会に還元できるか・発揮できるか」という観点で、
今後のそれぞれの食いブチを確保すべく考えてみて欲しいし、
それを自由に考えられる機会を最大限楽しんでくれればと思うのです。


明日土曜日、製作した学生の発表とそれに対する講評を1日かけて行います。
彼ら自身の意見を聞き、僕らも正面から前向きな提言が出来れば…と思います。

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No  8

卒業制作の傾向

例年この時期は、講師を務める大学で、卒業制作の採点を行います。
卒業制作とは、予算も規模も実現性も全く問われず設計出来る一生に一度の課題。
“社会に一石を投じる有益な建築の提案と、そこからの波及の検証”など、都市的規模の製作対象に挑むのが、ずっと昔の先輩から10年前の僕らまで当然でした。

でも最近は、時代のせいもあって、建築の力に夢を託す学生が少ないのか、
テーマ、対象、規模ともに、どんどん縮小傾向にあります。
今年もテーマの多くが住宅。中には一軒屋だけ、家具だけ、ひどいのは検討程度の
平面分割パターンに階段とベッドを記号的に入れただけの「豊かな(?)集合住宅」。
建築が敷地と用途という固有性から逃れられぬ以上、そのテーマの熟考と独創性が
何より大事なのに、そこをサッサと切り上げ、プレゼンだけは「完成です」としたり顔。

この背景には、実際の社会状況に加え、雑誌などメディアの影響もあるのでしょう。
 公共建築は負の遺産とされ、昨今はほとんど建てられなくなってきた。
→雑誌は掲載出来る新築が相対的に住宅ばかり。
→当然『住宅しかないから』ではなく『住宅が面白いから』という切り方での編集。
→多くの学生が掲載割合が『本当の潮流』か『苦肉の策』か判らず住宅をテーマに。
→参考にする掲載作が似た表現ばかりだから、それだけ真似て表現の評価に期待。

住宅というテーマがつまらないのではなく、今も昔も変わらず奥の深いテーマですが、
「どうせ将来住宅しか出来ない」との逃げは、可能性を広げる機会を自ら封じます。
また今の流行にしか対応できない思考と技術は、社会に出た後応用が利きません。

…長くなるので、次回は来年以降の学生に向けたテーマ選びのヒントを書きつつ、
それを通じ、一般の方にも建築や建築家への認識を改めて頂ければと思います。

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