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アーキテクチャ アンド アレコレ
No  221

「住み方の狭さ」(面積でなく間隔・感覚)

高層棟  池と低層棟  バザーなのでこの人出は今日だけ

六本木のアメリカ大使館員宿舎で、年に一度のバザーがあると聞き、
バザーはともかく、建築的に特徴的なのは知ってた宿舎が敷地内で見られる
数少ない機会ではあるので、寄ってみました。

都心、六本木2丁目の小高い丘という好立地に、豊かな緑と水をたたえた庭があり、
(…と書くと「やはり日本は未だにアメリカの…」とか「大使館員はどの国も贅沢な…」
なんていう人が必ずいるとは思いますが、このくらいの世帯数に対して、このくらいの
敷地のゆとりは都心であれど本来必要という印象。本国での彼らの暮らしからしたら
狭いくらいでしょう。)低層・中高層のバランスも良く、素直に快適そうだと思いました。

ユニット式の外壁パターンなど建築自体より、都心でのこの密度感が印象的でした。
いくら内装が高級な都心のタワーマンションでも、緑の眺めや香りが遠いと魅力的じゃない。一般的な日本人向けマンションで同程度の公共スペースを確保する場合、
2倍以上の高さや棟数で倍の戸数を確保して元をとるんでしょう。でもそれでは使いたい人が多すぎて誰も使えない。。。 供給者の儲けの論理が働かなくて初めて、
東京都心では普通の暮らしができるのかなと。

国土の広いアメリカとは比較しづらいとしても、日本より狭いスイスやオランダだって
もっと世帯ごとのスペースは広いのだし、日本人の住み方がそもそも狭いというか、
日本の人口密度やパーソナルスペースは、インドや中国ほどじゃなくても、やはり
アジアの仲間(それは悪いことではないですが)なんだなあと、改めて感じました。

満員で自分の腕時計さえ見れない電車とか、東京はどう考えても飽和状態なので、
地方分権も道州制もどんどんやって、人口分散にはもう少し頑張ってほしいところ。

ただ、僕が気になる「住み方の狭さ」とは、実面積よりも「間隔」の狭さというか、
隣と近くても人と同じでもいいという、「感覚」の狭さ。我慢強さと協調性という
日本人らしさの負の側面。例えば、一つ一つ工夫された狭小住宅は実面積より豊かですが、全戸南向きのイナゴの大群みたいな建売住宅街の風景を、皆で気持ち悪いと否定しないのは、悲劇的な麻痺状態ではないでしょうか?
統一感ある街並とか“調和”は大切だけど、まったく差異のない者同士に“調和”って
言葉は用いない。(大使館員宿舎からも、敷地の密度からも少し離れましたが…)

皆、別々のお腹から生まれたのだから、もっと別々の住み方を求めていいはずです。
供給側(売り手)の論理にただ従うだけで、街中同じ家の一つで我慢しない。
背も高いが、密度も価格も高いだけのマンションなんて買わない。 …そこからです。

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