No 354
Date 2016・04・30・Sat
「新建築2016年5月号」に掲載弊社設計の「あまねの杜保育園」が【新建築5月号】に掲載されてます。
![]() 保育園・幼稚園特集ということで、僕らも(ディテールシートを丸一頁頂くほど) 考えたこと全てをお伝えしたつもりですが、幼保施設という現代的テーマへの 様々な回答が比較できると思います。 是非ご覧下さい! スポンサーサイト
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No 353
Date 2016・04・24・Sun
同期の桜 |
No 352
Date 2016・04・10・Sun
保育所見学と建設上の問題某所まで新設保育園の見学へ。土管や縁側で遊ばせてもらい娘らも満足。
風の抜ける気持ちいい園。近くの別園も拝見し、勉強させて頂きました。 ![]() ところで東京都で保育所を作る場合、弊害となっている条例があります。 「バリアフリー法」といって、通常の公共施設であればもちろん必要な措置なんですが、 待機児童問題が喫緊の保育所、特に広い面積のとりにくい東京都内には適しません。 JIAもこの問題に取り組み始めているところですが、詳しくは下記をご覧下さい。 東京都知事が3分でできる、効果的な待機児童対策はこれだ! |
No 351
Date 2016・04・07・Thu
ザハ急逝エイプリルフールに知ったザハの訃報。未だ信じられず信じたくもないが、
この国の未熟さと業界の一部がかけた心労が全く影響しなかったと言えましょうか? 日本建築家協会もすぐさま哀悼の声明を送りました。 加えて、下記に磯崎新先生の追悼文を引用させて頂きます。 ご冥福をお祈りいたします。 --------------------------------------------- ザハ・ハディドへ 〈建築〉が暗殺された。 ザハ・ハディドの悲報を聞いて、私は憤っている。 30年昔、世界の建築界に彼女が登場したとき、瀕死状態にある建築を蘇生させる救い主があらわれたように思った。 彼女は建築家にとってはハンディキャップになる2つの宿命―異文化と女性―を背負っていたのに、それを逆に跳躍台として、張力の漲るイメージを創りだした。ドラクロワの描いた3色旗にかわり、〈建築〉の旗をもかかげて先導するミューズのような姿であった。その姿が消えた、とは信じられない。彼女のキャリアは始まったばかりだったではないか。デザインのイメージの創出が天賦の才能であったとするならば、その建築的実現が次の仕事であり、それがいま始まったばかりなのに、不意の中断が訪れた。 彼女の内部にひそむ可能性として体現されていた〈建築〉の姿が消えたのだ。はかり知れない損失である。 そのイメージの片鱗が、あと数年で極東の島国に実現する予定であった。ところがあらたに戦争を準備しているこの国の政府は、ザハ・ハディドのイメージを五輪誘致の切り札に利用しながら、プロジェクトの制御に失敗し、巧妙に操作された世論の排外主義を頼んで廃案にしてしまった。その迷走劇に巻き込まれたザハ本人はプロフェッショナルな建築家として、一貫した姿勢を崩さなかった。だがその心労の程ははかりはかり知れない。 〈建築〉が暗殺されたのだ。 あらためて、私は憤っている。 磯崎 新 |
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