No 118
Date 2006・07・05・Wed
「建築の危機を越えて」今日読んだ本。
1954生まれの隈研吾氏が1977~1986に「SD」に掲載した短編集。 発売すら10年以上前のこの本に僕がどうして今興味を示したかというと、 「現代の花形建築家が、今の僕と同世代に何を考えていたかを知るため」 というような"優等生的駆け出し建築家"の向学心でも 「かの環八M2※が何故生まれたかをドキュメンタリー風に検証するため」 というような建築批評家的興味でもなく、 「ポストモダンの大罪を(JFKのオズワルドみたいに)一身に背負わされ、 10年は東京を追放された挙句に返り咲いた、建築界の『ロッキー』の 事件前夜にとっていた態度が、どうも今の自分の態度とかぶるから」 というような、それこそ危機感によるものです。 「建築をどうにかしたい!」とか、「文化意識をどうにかしたい!」とか、 大真面目に・ひたむきに・大上段に構えれば構えるほど、 「これまでの使い回しはダメ」「新しいこと考えないとダメ」→ 「王道はダメ」「スキマを考えないとダメ」→ 「真面目はダメ」「タブーに踏み込まなきゃダメ」→ 「覚えてきたこと全部ダメ」「ふざけなきゃダメ」… って、シニカル・アイロニカルに最近どんどんひねくれていってて。。 僕の最近の住宅のメインタイトルは、『普通の住宅』(←本気)。 凡庸さがセールスポイントの建売業者に「特別なのを作って」って頼まれて、 その矛盾に抵抗した、僕にとっては「普通」な設計を追求したりとか… 大丈夫かな?このまま凄く頑張って超運よく大当たりで島流しの刑? (※M2…環八沿い砧辺りに建つ、元車のショールーム・現葬祭場建築) スポンサーサイト
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